「世界中を旅する教育者」を目指すクマのブログ

大好きな教育を多角的な視野で俯瞰し、日々関心を持ったことをブログにあげていきます。

教科書が読めないこどもたちと日本のオンライン教育(後編)

COVID-19が世界中で猛威を振るう中、日本で全国的に緊急事態宣言が出され、全国の小中高、大学は2、3か月の休校を強いられました。

 

自治体の学校では遠隔でのオンラインでのリモート授業の実施が、都道府県、地域別の教育体制の格差がある中、推奨されました。

 

熊本県熊本市では4年前の震災の教訓もあり、小学校では各家庭のWiFi環境の調査、電子タブレットの貸し出しがスムーズに行われ、リモート授業実施率が他県よりだいぶ高い状況です。

一方他県では、タブレット端末によるオンライン授業を実施することができず、週一で学校にプリントを取りに来て、自宅で個人学習するしかないという状況になっているところも珍しくないそうです。この現象はやはり、主に非三大都市圏(三大都市圏である”東京、大阪、名古屋を取り巻く都市”を除く市町村)に多くみられるそうです。

 

熊本を例に、Wifi環境の調査や家庭状況を素早く把握している地域はこの教育のオンライン化の勢いに乗ることができていると思われます。

 

教育環境(大学進学思考がある家庭はどのくらいか、学校教育以外のシステムである塾や学習支援が豊富であるかどうかなど)で地域格差がもともとあったのに、さらに傷を広げんばかりにオンライン教育の波が押し寄せてきて、その波に乗り遅れた地域は授業が進まない状況です。義務教育の土台となる教育機会の「平等」が脅かされています。

 

ここで話を読解力に戻します。

前編でも述べたように、「貧困であるほど読解力が低い」ことは統計的に明らかになっています。

 

これについて私は、両親が両親大卒層か両親非大卒層で影響があると思います。詳しくはまた別の記事で書こうと思っていますが(今回は、教育格差があることを強調したいため親片方大卒層を抜いたデータを元にしている。また、両親大卒層とそうでない類では統計上「教育意識に差がある」という調査結果をもとに述べる。)、簡単に言うと

 

両親大卒層か両親非大卒層でこどもへの大学進学期待に大きな差があり、親による大学進学を見据えた教育選択や、こどもが、技能・知識・経験である「身体化された文化資本」を獲得できる機会がどれだけあるかによって、読解力の強さに影響が出るのではないか、という考えです。

 

前編で、調査により学習機会や読書週間、スマートフォンの使用率の一つひとつが読解力に直接関与しているわけではないと述べました。

しかし、親の階層による教育によって世代を超えた学歴再生産は高い確率で存在します。また、両親大卒層か両親非大卒層かによって収入格差があることは明らかです。それによって、早い時期からの自分のこどもに対する大学進学期待に差が出て、こどもの学習意欲が湧くような様々な文化資本(例えば、海外旅行による異文化体験や博物館訪問や観劇、家族による文化的な会話など)を与えていたかそうでないかによって読解力に差が出るのではないかと思われます。

 

つまり、家庭によって文化資本総量に差があり、文化資本と学力などの教育成果は関係している。教育意欲が高い家庭のこどもは、成長する過程で学習意欲も備わらせることができ、そういった環境下でこどもは読解力が自然と身につくのではないかということです。

 

そして、これによって起きる問題は、両親大卒者層は都市三大圏に集中する現状があるということです。逆に言うと、非三大都市圏は両親非大卒層の割合が高くなるということになります。

 

その地域の、親の大卒割合によって文化的雰囲気が異なり、それが教育意識の高低の基盤となっています。教育熱の高い地域に住む子供たちは、周囲の大人から高い教育を受けることがいいことであるというメッセージを意識的、無意識的に受けながら育つことになります。

 

もちろん、様々な文化があることは良いことです。ただ、現在の社会制度の中で「成功」するのに役立つ「文化」とそうでないものがあるのは確かです。大卒割合によって近隣「文化」が異なることは教育格差にとって大きな意味を与えます。

 

教育意識の近隣間格差は、文部科学省が学習指導要領や財政支援によって公立小中学校標準化し、日本全国どこでも同じ教育を提供しようとしても、どんな近隣にあるかで、その中身が変わってしまうことを意味します。

 

教育の地域格差がある中、オンライン教育をWiFi環境、タブレット使用率だけ把握して導入してしまうのはとても危険です。

 

確かに、教育意識が高い家庭で育てられ、机に向かうことに慣れているこども、そしてそのようなこどもがたくさんいる環境では、自分で勝手にタブレットでの学習を進めていく子が多いでしょう。そこまで勉強に意欲がない子でも、まわりに教育意識の高い家庭の友達に囲まれていたら、自然と勉強に向き合うこともあるでしょう。

 

しかしそうでない地域、学級の中で両親非大卒の割合が高いところは、こどもに対する大学進学期待が比較的低いため教育意識も低く、義務教育をちゃんと終了してくれればよいという家庭の割合も高くなるため、周りの環境を含めたこどもの学習意欲もそれに応じたものとなり、タブレット端末での学習をスムーズに実施するだけでもかなりの時間を要し、皆が意欲的に学習するかといわれるとそうでない可能性も十分にあり得ます。

 

事実、熊本県の中学校を例に挙げると、市内の高校進学率が100%の公立学校では、オンライン学習導入後、学生のタブレット端末での学習率は100%である一方、同じ市内の公立中学校では同じようにオンライン学習を実施しても、生徒の出席率、学習率は70%未満の学級も存在するそうです。この残りの30%は、家庭の教育環境、周りの友達の低学習意欲に流されている子どもが大多数なのではないでしょうか。

 

これだと、読解力はおろか、基礎的学力にも同じ義務教育の場で差が出てきてしまいかねないです。

 

現場の教員の方々は、こどもの学習意欲、そして読解力向上のために、日々真剣に授業づくりをしてくださっています。現場で戦っている方々がたくさんいてくれるおかげで、データ上では見えない成果もたくさんあることでしょう。

 

しかし、その頑張りで生徒の学習環境を支えることができないほど格差は広がっています。やはり政策等で、国が生徒の学習と教師を支えてあげるシステム作りが必要です。

 

経済界には「小学生のころから英語を」「中学高校でコンピュータプログラミングを」などと、主張されている方々が多くおられますが、現場を知らないから、そのようなことが簡単に言えるのではないかと思います。

 

多くの人が成人するまでに教科書を正確に理解する読解力を獲得していない、、この状況を何とかしなければ、AIと共存せざるを得ないこれからの社会に、明るい未来予想図を描くことはできないです。それは、個人にとっても、社会にとっても同じです。

 

そのためにも、オンライン教育は文部科学省や各都道府県の教育委員会の強力なバックアップが必要です。決して現場の教員に丸投げさせてはいけません。ただのドリル学習を遠隔でさせる媒体にするのではなく、こどもの表現力、学習意欲を掻き立てるシステム作り、そして各々が持つ「個」を引き立たせ、読解力を伸ばすのにも役経つ武器にするべきです。

 

オンライン教育は世界的に今実施されていますが、日本はかなり出遅れています。オンラインの強みを活かした教育は、バックアップを整えたら必ず成果が出ると思います。日本もいまこそ教育に力を注ぐべきです。

 

そしてオンラインでの体制が整えば、次のステップである「対面とオンラインを兼ね備えた教育」は、必ず良い化学反応を起こすと思います。そのためにも、少しでも多くの人が日本の教育について考え直し、声を挙げることが大切です。国が動くスピードより、家庭が「我が子のために」動くスピードの方が断然早いからです。「卓上の教育は学校の先生に任せておけばいい」という時代はもうとっくの前に終わりました。

 

これから、AIに淘汰される企業数の増加はさらに加速していくでしょう。

 

AIに代替えされない人間になるための重要なカギは、これからの教育が握っています。